【岩手とドイツ】新渡戸稲造と後藤新平、明治23年(1890年)のドイツで接点はあったのか?

日本とドイツ

昨日の記事にも書きましたが、今度、岩手を旅行します。

せっかくなのでドイツにゆかりのある場所を探していたところ、岩手出身の先人、新渡戸稲造がドイツへ留学していたことを知りました。

新渡戸稲造といえば、のちに国際連盟事務次長を務め、『武士道』を世界に紹介した人物です。

さらに、花巻新渡戸記念館では現在、「新渡戸が見た後藤新平~新渡戸稲造著書『偉人群像』より」という特別展が開かれています。

後藤新平もまた、岩手ゆかりの先人です。

台湾総督府民政長官や南満州鉄道総裁、東京市長などを務め、日本近代史のさまざまな場面にその名を残しました。

へー、後藤新平もドイツと縁があったりしてなー、なんて思ったら……。

ドイツ留学していました!

新渡戸は農政学を研究するため、後藤は医学・衛生分野の研究や視察のためにドイツへ渡っています。

しかも、年だけを見ると、新渡戸と後藤はいずれも明治23年(1890年)にドイツにいたことになります。

これはもしかして……?二人はドイツのどこかで、すれ違っていたのでしょうか。

そこで、二人の留学時期を中心に、その前後の動きを並べてみました。

和暦西暦新渡戸稲造後藤新平
明治20年1887年・ボン大学(冬季学期)
明治21年1888年・ボン大学(夏季学期)
・ベルリン大学(冬季学期)
明治22年1889年・ハレ大学(夏季学期)
・ボン大学(冬季学期)
明治23年1890年・6月19日、ハレで博士号取得
・離独後、7月にはアメリカへ
・4月5日、横浜を出帆、ドイツへ
・ベルリンのコッホ研究室を訪問
・8月、ベルリンの国際医学会に出席
明治24年1891年・2月、帰国・ミュンヘン大学(夏季・冬季学期)
明治25年1892年・1月21日、ドクトル試験に合格
・6月10日、帰国

並べてみると、期待したほど話はきれいではありませんでした。

今回確認した範囲で二人に共通して出てくるドイツの地名は、ベルリンです。

Cross Asiaがまとめたドイツ留学日本人のデータベースによると、新渡戸がベルリン大学に在籍していたのは1888/89年冬季学期です。

一方、後藤は明治23年(1890年)8月にはベルリンにいたことが確認できます。ベルリンではローベルト・コッホの研究室を訪れ、8月にはベルリンで開かれた国際医学会にも出席しました。

ところが、そのころ新渡戸はもうベルリンにはいません。

明治23年(1890年)6月19日にハレで博士号を取得した後、翌月7月2日付の書簡はアメリカのMuncyから出されています。

少なくともこのときには、すでにドイツを離れ、アメリカへ渡っていました。

二人とも明治23年(1890年)という年にドイツにいて、ベルリンに滞在した経験もある。

しかし、二人が同じ時期に同じ都市にいたことは、今のところ確認できませんでした。

そもそも専攻も留学先も違うので、同じ都市で重なるはずだと考える根拠があったわけではないんですけどね。

 

ちなみに、明治23年(1890年)から11年後、明治34年(1901年)。

当時、台湾民政長官を務めていた後藤の懇請を受け、新渡戸は台湾へ赴任し、台湾総督府技師となりました。

今回の特別展では、そのあたりにも触れられているのかなぁ……あー行きたい、時間確保しなければ。

 

それにしても、ドイツ留学と一言で言っても、新渡戸がボン、ベルリン、ハレと三つの大学で学んでいることにも驚きました。

そういえば、ドイツ語の先生から、現代のドイツでも途中で大学を移って学ぶことがある、という話を聞いたことがあります。

新渡戸の時代にも、大学制度や学生の学び方と何か関係があったのでしょうか。

そこはまた、別の機会に調べてみたいと思います。

 

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出典・参考資料

  • 盛岡市ホームページ「新渡戸稲造(にとべいなぞう)」
  • 花巻市ホームページ[特別展「新渡戸が見た後藤新平~新渡戸稲造著書『偉人群像』より」]
  • Cross Asia「Lexikon Japans Studierende – Listenansicht」
  • 北海道大学学術成果コレクション : HUSCAP「新渡戸稲造の“homeport”札幌時代」、「新渡戸稲造の朝鮮(韓国)観」
  • 奥州市ホームページ「後藤新平 略年譜」、「(5)台湾民政長官時代」、「(6)ドイツ留学」、「新渡戸 稲造(にとべ いなぞう 1862-1933年)」
  • 北海道大学オープンコースウェア「札幌農学校の教育- 『農学』」
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