最近、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下(Unterm Rad)』のドイツ語原文を、Project Gutenbergというサイトでゆっくり読んでいます。
『車輪の下』は、才能のある少年ハンスが、周囲から勉強や成功を求められるなかで、しだいに追い詰められていく物語です。
※以下、『車輪の下』の内容に触れています。未読の方はご注意ください。
先日、ドイツ語講座の中の雑談で、『車輪の下』を日本語で読んだと話しました。
すると先生が、「Unterm Radですね!」と原題をさらりと言う好反応。
さらに、ドイツ語の Rad は「車輪」だけでなく、水車や観覧車などにも使われると教えてくれました。
水車は Wasserrad、観覧車は Riesenrad、歯車は Zahnrad というそうな。
私は「車輪の下」と聞くと、馬車の車輪を思い浮かべていたので、ちょっと視野が広くなった気分。
というのも、某漫画の主要キャラクターが馬車の車輪にひかれ、文字どおり「車輪の下」になってしまうのを読んで強いショックを受けたことがあるからです。
その話はさておき。
どうやらRadは、私が思っていたより広い言葉らしい。そこで、いつものようにドイツ語辞典Dudenをめくり、手元の独和辞典でも確認してみました。
すると、気になる慣用表現が。
- unter die Räder kommen / geraten
(「車輪の下に入る/陥る」といったイメージ。完全に落ちぶれたり、道徳的・経済的に破滅したりする意味で使われる)
『車輪の下』にも、これとよく似た unters Rad という表現が出てきます。
作品の題名 Unterm Rad とDudenの慣用表現は同じ形ではありませんが、『車輪の下』を原文で読んでいる最中だと、やはりその意味を重ねたくなってしまいます。
気を取り直して、もう少し見てみましょう。
- nur / bloß ein Rad / Rädchen im Getriebe sein
(「機械の歯車に過ぎない」といった意味合い。自分自身に責任や決定権を持たず、あるシステムの中に組み込まれている人について使われる表現)
- das fünfte Rad am Wagen sein
(五番目の車輪の意。集団の中で余計な存在、ただ容認されているだけの存在であることを表す)
歯車、車輪。どちらも人間の生活を支える重要な部品なのに、人間に例えるとどうしてこんなに不穏に聞こえるのか。
日本語でも、「会社の歯車になる」、「組織の歯車にすぎない」なんて言い方があります。
でも、私自身、仕事で歯車に関わっていた経験があるせいか、「いや、歯車自体はすごく重要な部品なんだけどなぁ。歯車一つ欠けても生産ライン止まるんだけど。悪いの、歯車じゃなくない?潤滑油とはえらく扱いが違うなぁ」なんて思ったり。
なんだかこれらの用例を見ていると、論点がずれていることを自覚しつつも、歯車の名誉を守りたくなってきます。
これらのRadを使った表現を、『車輪の下』の主人公ハンスに当てはめていきたい気持ちを今回は抑えます。
とはいえ、小説を読んだ後だと、どうしても意味づけをしたくなってきます。
書かれた言語を意識して文学を読んでいると、辞書の普通の表現まで作品に侵食されて見えてくる。
どうやら、そんなことがあるようです。
では『車輪の下』の原文では、Radは実際にどのように使われているのでしょう。
それはまた、別の機会にします。
出典・参考資料
- Project Gutenberg「Unterm Rad by Hermann Hesse」
- Duden Online「Rad」
- 根本道也ほか編集・執筆『アポロン独和辞典』第5版、同学社、1998年2月
